Monumento

kawa_sanpo

2017/11/10

Tags: ocr-generated 群馬県 安中市

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ocr-generated 史蹟 赤 門 屋敷跡
うすい」
にんこう」
かずのみや
「江戸幕府は諸大名を江戸に参勤させた。此の制度の確立
の為「中山道」が確氷峠「熊野神社」前を通り、北の赤門
屋敷跡には「加賀藩前田家」の御守殿門を倣って造られた
朱塗りの門があった。諸大名が参勤交代で浅間根腰の三宿
追分 香掛 軽井沢一を経て確氷峠に、また上州側坂本宿
より確氷峠に到着すると、熊野神社に道中安全祈願語でを
済ませて、光の赤門屋敷で暫しのほど休息し、無事確氷峠
迄来た事を知らせる早飛脚を国許また江戸屋敷へと走らせ
た。江戸時代の終り文久元年(一八六ー)仁孝天皇内親王
和宮様御降下の節も此の赤門屋敷に御休憩された。
明治十一年明治天皇が北陸東山道御巡行のみぎり、峠越
えされた行列を最後に、旅人は信越線または国道一八号線
へと移った。上州坂本より軽井沢迄の峠越えの道は廃道と
なり熊野神社の社家町「峠部落」も大きく変り赤門屋敷も
朽ち果て屋敷跡を残すのみとなった。
北の屋敷は熊野神社代々の社家「峠開発の祖」曽根氏の
屋敷でありにある人々からは由緒ある赤門「御守殿門」及
び格調高い「上屋敷」の滅失が惜しまれている。
赤門の由来
現在 東京本郷東大の赤門が現存しており、北の門は文政十年
(一八三七) 今から約百七十年前、加賀藩主前田斉泰に嫁いだ十一代
将軍徳川家斉の息女溶姫の為に建てられた朱塗りの御守殿門であり、
重要文化財に指定されている。
平成七年五月十五日
熊野神社 宮司

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2018-03-27 22:57 (0)
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