History of port construction, Kitadaito-jima Island
北大东岛,港口建设的历史
北大東島の港の建設史
北大東島には、西港、江崎港、北港の3つの港がある。島の周囲の岩礁が険しく、船の接岸が困難なため、大型船舶は沖合で停泊し、クレーンによる荷役が行われる。人もかごに乗り、小型漁船も宙吊りにされて島へ出入りする。新たに漁港が整備されても、宙吊りの風景は変わらない。
大正7年、燐鉱採掘の本格化に伴って、現在の西港に最初の港が建設された。島の西側が風下になり、なぎになる日が多いためである。岩礁をダイナマイトで割って作った斜面に、木材を並べて固定し、艀(はしけ)をすべらせる船揚げ場を建設した。次いで、デリックによる荷揚げ場が設置された。いずれもは現存している。
燐鉱採掘の積み出しは、荷揚げ場に隣接して設けられた「象の鼻」と呼ばれる積荷桟橋で行った。砂糖の積み出しは、上陸港が用いられた。いずれも沖合の本船まで艀により運搬した。
1955年には、陸上と沖合の岩をワイヤーロープで結んで滑車により荷物の揚げ降ろしを行う方法が導入された。1958年の地方港湾の指定に伴って浚渫工事が実施され、1962年には座礁したアメリカ船舶のマストを活用したデリックが整備されて、大型船を横付けして行う荷役が可能となった。
1973年にトラッククレーンが導入され、現在に至っている。風向きにより西港が使用できない時に備え、1972年に江崎港が、1980年に北港が整備され、現在も使用されている。
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