Monumento

kawa_sanpo

2016/07/21

Tags: ocr-generated 愛知県 岡崎市

Guide plate text

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ocr-generated わし おうざんやく おうじ
和志王山薬王寺
やくしるりこう にょらい
やくしにょらいえんぎ
この与JA)も越前の心書
そんぞう
みたらい み たちかさとり
ほう あみ ちょうじゃねん じぶつ」
そうぎょうぎ
じゅんな
嫌うそう
るり
ぜにわ
こつぜん
「そんぞう
「ほうそう
そんぞう
奈良時代に創建されたと伝えられる由緒あるお寺です。ご本尊の薬師瑠璃光如来は
こ かいちょう
一七年に一度御開帳される秘仏として本堂に納められています。
この寺に伝わる薬師如来縁起によると、尊像は、和銅年間(西暦七〇八年~七」
五年、奈良時代初)に、(現在の宇頭南町にあった)神の御手洗御立笠取の池から光を
放ってこの世に現れになった。この地に住んだ豊阿弥長者が念持仏とされたが、後に
僧行基を開祖として和志王山薬王寺を創建され納められた。そして、子孫代々相続された。
時は経って淳和天皇天長六年(西暦八二九年、平安時代)春に疱瘡が流行した。
長者の子も重い疱瘡を病んだ。そこに、何処からともなく僧が現れた。瑠璃の島から
取り出した薬を子に含ませ、子の五体をさすると病は癒えた。僧は子が遊んでいた
銭輪を貰い受け、首にかけて退出され忽然と消えられた。長者は薬師のご利益と気
づき尊像にお参りすると、御首に銭をかけ/お身体には疱瘡の痕が残っていた。長者は、
わが子の身代わりになられた尊像をますます崇敬された。
「さらに時が経ち、天文「八年の戦い(戦国時代、西暦一五四九年にあった織田信秀
とラ川・松平の安祥城を巡る戦い)により守は焼かれ、長者の子孫も絶えてしまわれた
元和二年(西暦「六六年、江戸時代初)四月、村人たちが
この地に移そうとした際に、土中より御首に銭をかける抗り出した。不思議な、
ご縁を感じた村人たちは心を合わせ、御堂を造営した。このように記されています。
なお、薬王寺本堂は、古墳時代中期の前方後円墳、宇頭大塚古墳の後円部に抱ら
れています。今は後円部以外削られ、原形を留めていません。昭和三四年岡崎文化
財研究会の調査によると、その規模は、周濠を含めた全長約七〇メートル、後円部
径約三〇メートルと推定されています。
和銅年間にこの地に住まわれた豊阿弥長者は五十狭城入彦皇子(別 気入彦命)
の子孫と伝えられています。古墳時代中期(五世紀)にこの地に勢力のあった皇孫
の古代豪族の子孫が、奈良時代に和志王山薬王寺を建立されたと考えられます。
古い歴史を持つ宇頭町の人々が先祖代々崇敬し、お守りしてきた、町が誇れる文化財、
それが薬王寺と宇頭大塚古墳です。
平成二十三年十月吉日 宇頭町
ンIIによく

そんぞう」
う とうおお Okさん
しゅうこう
ほう みちょうじゅいさき りひこのみこ
きいりひこのみこと
ずうい

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2018-03-28 12:04 (0)
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