ocr-generated ■国
たつや
油かけ大黒天神由来
そもそも身延別院に安置する油かけ大黒天の由来を尋ぬるに、現代の名優長谷川一夫氏は京都
伏見の出生にしてそこに油かけ町あり、昔油を売る商人道端の石像に間違って油をかけて以来商
売が大繁昌せりと。同しげ夫人は神仏に厚く帰依し、戦後間もなく、個々この油かけ天神が夢に
出て、帝都に祀り衆人と結縁せしめよとの霊夢を蒙り早速身延別院の住職藤井日静上人(後の身
延山八十六世法主)に相談すると、上人膝を打ちて喜ぶ。
上人ホ幼少の時、藤井家正に火災発生せんとするや大黒天神が槌を以て幼児を撃たんとす。驚
ろいて目覚め裏に逃げて発火地点に至る。火防の大黒天として祀って来たれり 長谷川一夫同し
け大人施主となり、油かけ大神を祀る出来なり。
日蓮大聖人弘安二年の『大黒天神御書」によく、大黒天神は釈迦如来の後身、上行菩薩の垂迹
(衆生を救うために仮の姿をとって世に出現す)なり。然れば寂光の都を出でて慈芸三千世界)
をおほい、福徳を恒沙の利上に満て、慈悲を塵数の世界に布く。然れば無量の寿福円満せざると
いうことなし。故に大黒という。赤大暗夜叉と云ひ、或は闘戦塚問浴油神とも云う。油を以て灰
身を浴して所求を成するが故に、凡そ尊高の宝冠を改めて卑下の烏帽子を著し、阿雲の正体を秘
して塗炭の黒身を現す。右の手には一実中道の槌を捧げ法報応の三身を知らしむ。左の手には円
教の袋を執て肩にかけて万法円備の真諦を顕す。極位の宝座を下りて道祖の草鞋を履いては浴諦
常任の理を知らしむ。如説術修行共福不可限、受持法華名者福不可量、所願不虚ホ於現世得共福
報。
日蓮 花押
弘安二年四月十日
祭日 甲子の日 殊に年の始めと終りの甲子を大切にして参詣すべし。開運、安産、商売繁昌、
福徳円満ならしむ
身延別院