宜野湾御殿(ぎのわんウドゥン)の墓(はか)及び墓域(ぼいき)
1978(昭和51)年9月28日
那覇市指定史跡
この 墓 は、 王府時代 の墓制に基づいてつくられた典型的な 王子家 の墓です。屋根の形が亀の甲に似ていることから、このような形式の墓は 亀甲墓 (カーミヌクーバカ)と呼ばれ、17世紀末からつくられるようになります。この墓は、18世紀初期につくられ、墓正面の「眉(マユ)」の部分が緩やかな曲線を描き、後代のものとは異なった、最も古い形式の亀甲墓です。また、「袖(スディ)」と呼ばれる正面左右の石積みは、3段に分けて積まれ、格式の高さを示しています。墓の区画は、国王の墓陵(ぼりょう)である 玉陵 (タマウドゥン)にならって ヒンプン と呼ばれる中石垣によって2つに分け、その両端の入口は故意に狭くつくられています。そのため葬儀の際は、棺(ひつぎ)を持ち上げて中石垣を越えなくてはなりません。これは、あの世へ行きにくいようにするという、祈りを表しています。沖縄における祖先崇拝のシンボルの一つである亀甲墓の中でも、特にこの墓は高度な石造技術を用い、壮大で優美な形を完成しています。
墓域は約12,000m2(約4000坪)で、墓守(はかもり)屋敷跡や石畳の参道(さんどう)も残され、王府時代の墓制をそのまま今に伝える貴重な文化財です。
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